賢い親の悟り 国立大学教育学部付属小学校教諭 松尾英明
ウチの子は「言えば分かる・変われる」これが間違い
「我が子を立派に育てたい」これは、我が子を大切に思えばこその親の願い。しかし、小学校の学級担任として多くの家庭と接していくと、皮肉なことに、この「健全な親の願い」が原因で子育てに苦しむケースにしばしば遭遇します。子育てに真剣な方ほど、深く悩んでいます。どういうことか? 父兄の皆さんに聞けば、「子どもが自分の願う方向に育っていかない」と言います。「何度も何度も言ってきかせるんですけど……」と。ここで、父兄の方の考え方の前提となっているのが、ウチの子は「言えば分かる・変われる」という点です。実は、この前提自体が間違っています。真実は、「何度言っても、変わらないものは変わらない」という、教える側からするとかなり残念なものです(子どもを旦那さんに置き換えると、分かりやすいですよね)。これは、親子間、夫婦間だけでなく、教師と子どもの関係にも当てはまる、大原則です。でも、それでも何とかしたいのが親心。親としての願いを持ちつつ、どうやって我が子に接していけばいいのでしょう。そんな共通の悩みを抱える全国の親御さんとその子どものために、私は「ゆったりと子育てを楽しむ」方法を提唱しています。
(1)「言うことをきかせる」という思いを捨てる
子どもは、親の言うことをよくきく状態が望ましいです。しかし、何であれ、世の中そう簡単にはいかないのが常です。「悪銭身につかず」の諺の通り、簡単に手に入るものは、結局身につきません。価値のあることには、時間と手間がかかるものです。だから、親は長期的な視点でゆったり構えることも大切です。我が子の教育には、気合いが入ります。いろいろ手をかけること自体はいいことです。しかし、間違ってはいけないのは「言うことをきかせよう」という思いです。この思いは、とりあえず捨てた方がいいようです。では、どうすればいいのか?
上から目線で正しいことをさせようとする親
まず、親子の信頼関係を深めていく方が優先です。要は、すべき教育はきちんとするけれど、自分の思い通りにはいかないという前提を親が持つことが大切です。そもそも、自分自身の子ども時代を振り返ってみましょう。表面的には親の命令などに「はいはい」と言いながら、実際は適当に聞き流していていたのではないでしょうか。あるいは、「やんちゃ坊主」「じゃじゃ馬娘」で、全然言うことを聞いていなかったのではないでしょうか。そんな自分は、ダメな人間に育ったのでしょうか。きっと、そんなことはないはずです。親の言うことは、正しいです。正しくないことを我が子に教えようという親はいません。しかし、正しいと理解することと、正しい行為をすることは別物です(そうでないなら、貧困や差別をはじめとする世の中の悪は全てなくなるはずです)。小さいことで言うと、宿題をきちんとやるのが正しく当たり前。それでも、つい他のことをやってしまうのが人間ではないでしょうか。
「何で宿題きちんとやらないの!」「言ったのだから、当然聞くはず」
と親は思いますが、子どもはダラダラと遊んでいて、いつまでもやらない……。
さて、ここで振り返ってみます。大人である自分は、どうなのでしょう。当然、締め切りをいつも守ってばっちり仕事を完璧にこなしているはずです。上司や部下など人の話はよく聞いて、立派な人格に相応しい行為で日々生きているはずです。大人は、教育を受けて成長した存在なのだから、正しくないことはしない。当然のことです……と。そんなはずがないですよね。言われたことには従いたくない、反対したくなるのが人間です。人間は、自分で決めたことにのみ心から従います。子どもとて、同じです。だから、親の言うことが正しいと分かっていながら、子どもは言うことを聞きません。親が嫌いとか、反抗しようとかそういうことでは決してないです。親が上から目線でやらせるのではなく、子ども自身が「自分でやると決めた」と思わせることがポイントになります。もし、言うことをきかないとしても、そういう視点で子どもの変化をゆったりと構えて見る必要があります。
「怒ってしまう自分」を責めすぎる親
(2)折れない心を育てるために、怒る
さて、それでは何も言わない方がいいのかというと、それも違います。例えば、子育ての過程においては、「怒る」という場面があると思います。何度も同じことを言っても聞いてもらえないのですから、親といえども人間、当然腹が立ちます。一般的には怒らない方がいいと言われているし、親の側の精神衛生上も怒らない方が楽です。「怒らない子育て」は理想的ではあります。中には、そういう親御さんも、いないことはありません。しかし、人間は感情の生き物。怒らないで済むならそれに越したことはないですが、「分かっていたのについ怒ってしまう」というのが、大多数の親の本音ではないでしょうか。子どもは、親を苛立たせることにおいて、天才的です。人が怒っている姿は、正直、傍目にはいささかみっともないものです。怒った後に激しい自己嫌悪に陥る人もいます。しかし、実は怒るという行為の是非も、考え方次第です。本気で怒られる経験というのは、実社会において有用かつ必要です。実際、世の中に出たら、怒られまくることばかりです。社会人1年目で褒められまくって楽しくて仕方ないという話は、ほとんど聞いたことがありません。カウンセリングマインドを身に付けているような上司に当たる確率は、宝くじが当たるのと同じぐらい低いものです。ねちねち言われるか、はたまたドカンと怒られるのが普通です。問題は、優しく優しく育てられてきたために、怒られ慣れておらず、上司のちょっとした注意にも立ち直れなくなってしまう新社会人の側です。我が子がこうなってしまうことの方がよほど問題です。上司を優しい人へ変容させるよう教育することは難しいですが、我が子を子ども時代に打たれ強く教育しておくことは、できます。そう考えると、時にものすごく怒ることにも、大きな意義があります。
また、これは笑い話ですが、学校において、「超怖い」という噂の先生の後にやる担任は、割と学級経営がやりやすい傾向にあります。かなり感情的になって怒ってしまった時も、ふてくされたり凹んだりしません。なぜかと聞いたら、「(前任の)○○先生はもっと怖かったから大丈夫」とのことでした……。そう考えると、家庭で子どもに「怒られることへの耐性」をつけておくことには、価値があります。栄養分と同じで、不足しても多過ぎてもバランスが悪く、成長を阻害します。
大切なことは、つい怒ってしまう自分を責めすぎないことです。「また怒っちゃった」と悩み、落ち込むあなたは、他の多くの親御さんと同じであり、極めて正常です。次の日の朝から、もう一度やり直せばいいだけの話です。怒るという行為自体に是非はなく、程度の問題であるとゆったり割り切るのがよいでしょう。
9割の子どもはマニュアル通りにはいかない
(3)子どもを子育てマニュアルの枠にはめない
相手は生身の人間なのだから、コンピューターのように規則的には動きません。子育てのマニュアルである教育書に載っている通りにいく子どもは、全体の1割程度です。我が家の例でいくと、こんな話があります。息子が1歳ぐらいの頃、妻が保健センターで開かれた子育てアドバイス会のようなものに参加しました。食事について次のようなことを教えてもらったようです。「子どもにはプラスチックでなく、あえて割れる食器を使わせてください。落としたら割れる、ということをそこで学びます。根気強くつきあうことが大切です」早速妻が実践したところ、息子は、5秒で食器を粉砕。さらに、割れたのが楽しくて大喜び。床が、割れた食器と食べ物で惨状となったのは言うまでもありません。食器は、ほどなくプラスチック製に戻りました。食事ごとに食器を割られるので、親の負担が大きすぎる、と思えたのです。ただその後、成長の過程で何の問題もなく自然に陶器製の食器を使うようになり、小学生になった今、滅多に落とすことはなくなりました。保健師さんの言っていたことは、おそらく本当です。実際にそのように子育てをし、うまくいったケースも多かったのでしょう。もしかしたら、多くの子どもはそれでうまくいくのかもしれません。しかし、我が子はとてもではないですが、それができる感じではありませんでした。やり方がその子どもに合っている場合、そうでない場合があるのです。子育てマニュアルはあくまで一般化された「マニュアル」。とりあえずそうすると上手くいくことがある、という程度にとらえます。自分が今目の前で相手にしているのは、機械で大量生産できる画一的なモノではなく、世界で唯一無二の我が子。当然、対応も臨機応変が正しいです。我が子に合った方法、そして、親である自分に合った方法を適切に選択していく必要があります。一般のマニュアルにとらわれず、世界でひとつしかない我が子と自分の子育てマニュアルを、ゆったりと作っていきましょう。
(4)「親と子は別人格」という覚悟を持つ
(1)で「言うことをきかせる」という発想を捨てるべきだと書きました。では、親は何を子に伝えるべきでしょう。それは「自分はこう考えている」という、自己開示です。いわゆる「Iメッセージ」です。親である「私は」どう考えているのか。決して子どもの「あなたが」どうすべきかではありません。あくまで選択権は、子どもの側にあります。こちらは、より良いと思われる道を提示するだけです。「私は」どんな家庭にしたいのか。家族としてどうありたいのか。親としてどんな風にあなたと関わっていきたいのか。どんな考えや願いを持っているのか。だから、どんなルールを守って欲しいのか。そういうことを、きちんと伝えます。楽しい雰囲気で伝えられれば、伝達率はより良いでしょう。嘘は子どもに見抜かれるので、言わないようにします。間違っても、親の将来のために子どもを思い通りにしようという自己愛の考えが底にあるようではいけません。必ず見透かされます。それでは、本末転倒です。私の願いはこうだけど、あなたの人生はあなたが決める。親子とはいえ、別の人格を持った一人ずつの人間なのです。そういう一種の線引きというか「覚悟」が必要です。親子といえど、あくまで別の人間という考えを持って、ゆったりと我が子の成長を見守る姿勢が欲しいところです。